岩井俊二『リップヴァンウィンクルの花嫁』

https://filmarks.com/movies/65426/reviews/22881465

 

 

16/10/02
人に勧めにくいけど、優しくて良い映画だった コメディ

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再視聴

人生ベスト(ベストはいくつかある)


初めて黒木華を知ったのがこの映画で、それこそ最初の印象は「なんやこのパッとしなくてどんくさい女は…」で、「岩井俊二は本当に感じだけで生きてる女が好きだな…」と思っていた

この映画を観ていて、「結局別れさせ屋を仕組んだのは誰だったのか」といったような細部に目がいってしまうかもしれないが、実はそういった細部はさほど重要ではないような気がする

長尺の映画の多くが、常に複数のことを語ろうとするように、この映画でもひとつのシーンごとが複数性をもち、どんな感情でどんなモノを描いているのかわざと確定しないような描き方をしている
悲壮なシーンも悲壮で終わらないように絶対に笑いどころやツッコミどころを入れているし、ある意味で観客を観客として留めておきたいような意思を感じる

それはこの映画が移入する構造的な物語というより、散文詩的な表現方法が散りばめられた岩井俊二の人生観のかたまりだからではないだろうか


この映画のタイトル、リップヴァンウィンクルの花嫁とは誰だったのか?

リップヴァンウィンクルは真白(Cocco)のHNだった
真白=リップヴァンウィンクルとすると、タイトルはその花嫁として踊った皆川七海(黒木華)のことを指すだろう

そもそもリップヴァンウィンクルとは、その名の少女が小人に美味い酒をもらって遊んでいたら、浦島太郎のように何十年も経ってしまっていた、という話だが、上記に当てはめて寓話の意味を考えると、いささか輪郭がぼやけてしまう気もする

今回再び観てみて、真白はリップヴァンではなく、むしろ「リップヴァンウィンクルの花嫁」であって、リップヴァンだったのは皆川七海の方だったのではないかと考えた


"自分を持たず流されて生きている"皆川七海

映画を観ればわかると思うが、最終的に皆川七海は、別に自分らしさを獲得したり、流されて生きるのをやめたりしない

皆川七海は、ドラマ版では初めてAVを観て参ってしまうし、極めて自己肯定感も低い
気づけば結婚適齢期で、思いつきで彼氏を作る
結婚生活後はエプロンを締め、不審な来客にもコーヒーを煎れる
なんとなく自分の"普通じゃなさ"、レールや枠から外れてしまっていることを意識していて、常に社会的に大事だと思われている"普通"の範囲内に自分を規定しようとしている

しかし、彼女はランバラル(綾野剛)のおかげで真白と出会う
彼については後述するが、ひとまず七海は真白とともに夢の中のような日々を過ごし、沈んでいた心を回復していく

しかし、結局真白は自殺を選ぶ
パーティの時間は終わってしまうのだ。本当のリップヴァンウィンクルである七海は、現実世界にへと戻っていく

ラストシーン、見晴らしの良い小さな部屋で彼女はまた一人暮らしを始める彼女は気付いている
かつてと様変わりした現実に、目に映る世界の色に


初めは鈍臭く、地味な印象しかなかった七海が、3時間かけて回復し、目に光が宿り、生気を獲得していく姿は、とても魅力的で凄まじい肯定感があった


さてランバラル(綾野剛)についてだが、
最初この映画を観た時、レビューとか考察をいくつか読んだのだが、綾野剛はインターネットの暗喩だという話があった
表現の割に頭でっかちなメタファーの仕方だなぁと感じたけれど、実はけっこうこのメタファーとしてのキャラという考え方だけはしっくりきていて、読み取りの助けになった気がする

インターネットに限らずとも、人生、生きているうち自分の見ていないところで様々なことが起きている
いろいろなことが噛み合って自分の制御できないところで何かが起こり、それに流されて生きていく
漫然と生きようが、自己でそれを選択していようが(または選択しているつもりになろうが)、自分の埒外の場所でも他人と他人は関わり合って、物事を動かし、回り回って自分の人生に影響を与えるのだ
それは良いことも悪いことも運んでくる

こうした構造を映画としてやって物語に組み込むと、いささかご都合主義になってしまうところを、こうやって一人のキャラクターとして展開させているのかなと考えると、結構上手くいっているように思う

そう考えると、明るい"リップヴァンウィンクル"の寓話のように転がっていくこの映画全体の構造は、岩井俊二の祈り、こうあって欲しいという願い、愛なのだろう

そして、真白が死の前夜に話したこと、それらがすべて優しくて、何か信じられなくなったときに、もうちょっとだけ、自分が思っているよりも少しだけ、世界は少しだけ優しく出来ていることを確認したくなったとき、信じたくなったとき、たぶんまた俺は3時間かけてこの映画を観るんだろうなと思う